BLOGブログ

大水害

           

長崎大水害から42年

1982/7/23の長崎大水害から42年経ちました。
あの日のことはいまだに忘れません。僕自身と僕の家族は幸いにも難を逃れました。
野母崎という地形は大きな川もなく山から直接海に流れ出すような状態なので、冠水するようなことはほぼありませんでした。
ただ、土砂崩れは数か所でありました。

僕自身はというと、仕事で島原に行った帰りに大雨に遭いました。あまりの雨の強さに、買って1年ちょっとしか経ってない車のフロントガラスの部分から雨がもり、東長崎にあるディーラーに行って応急修理をしてもらい、その後、母校の近くで後輩に会って34号線沿いの喫茶店でお茶などしておりました。じつは長崎の街で友人たちと合流する予定だったのですが修理に手間取り約束をキャンセルしたのです。その後わかったのですが、そのまま向かっていれば時間的には大規模な土砂崩れで車ごと流されて命はなかったようです。街にいた友人は走行中、水が急激にやってきて車がふわっと浮いて、慌てて飛び降り、周りの車も一緒に流されていったと聞きました。車の雨漏りには落胆しましたが今となっては感謝するしかありません。

とんでもない雨だったせいか、お茶していた喫茶店の窓からも雨漏りしはじめたので、お店をでて、34号線を日見トンネル側に移動しようとすると異様な光景に出くわします。5,60センチの石ころならまだしも、直径2m,3mも超えそうな石が道路上に散乱しておりました。とても移動できる道路状況ではなく引き返して水族館の方に下ると倒木で進むことができず、更に引き返して東長崎の方に行こうとすると土砂崩れで道は塞がっていました。唯一残された道は卸団地というところに行く道だけで卸団地に移動し、そこから東長崎経由で網場に行こうとしたものの、東長崎へ行く道を進むと真っ暗闇で異様な状況に恐れをなして移動を断念。団地内の土砂災害のなさそうな位置に車を停めて雨をやり過ごしました。実は東長崎はとんでもない水害に見舞われていて、かなりの人が亡くなったりしてたようです。たぶん修理してくれたディーラーも、あのあと被害を受けたことと思います。

車では身動きができないので、雨がやんだあと、歩いて網場の友人のところまで移動しましたが、そのときに見た光景は本当におぞましいものでした。
川に流された車は多数、道路はあちこちが決壊し他の川では上流での土石流のせいか川は埋まり両側の道路が川になっていました。

数日後、網場を出ることができ長崎の市街地に入りましたが、水害の跡形は凄まじく復興にどのくらい掛かるのか想像もできないくらいでした。

書き始めると終わらないので今日はココまで。またいつか続きを書きます。





               

SHARE!

BLOG TOP